M教授最終講義

 最近Szopenのnokturn Nr.2を彈き續けとうけど、エルールを2ヶ所までに抑へることに安定して成功しとうな。特に最初の24小節は0〜1ヶ所。で、最近、何故この曲が有名になったかが分かる氣がしてきた。聽く限りにおいては平凡な夜想曲って感じやけど、彈いたら妙に落ち着けるのである。この曲自體技術的に易しいけど、同程度またはそれ以上に易しい曲に比べても明らかに落ち着ける。で、最近思ふんやけど、ピアノ曲が世間に知られるかどうかって、聽いた時の感動度より、彈いた時の滿足感の方と強い相關がある氣がする。特別高度な技術を必要とせんのに妙に滿足感が得られるこのnokturn Nr.2が好例。一方、惡例としてはDvořákのピアノ曲の多くがあがる。聽く分には素晴らしいとしか言ひやうがないのに、彈いても大して滿足感が得られへん。技術的に難しいところが多いわけではないのに彈きにくかったり、うまいこと彈けてもなんか駄作を聽いたっぽい氣分になる。同時代の作曲家であるGrieg(今年沒後100年)にもピアノ曲での知名度が劣るのはここにあるんやらうな。で、晝飯食うて、上澁谷のトゥールドディスクに買出しへ。今日は、盜難防止用のシレーヌが鳴るとこを見てまひました。こんなことってあるんやな。で、大學に戻ってからは院生室に寄って、それからM教授(某教科書のおかげで、大學の數學科生の7割、幾何專攻に限ったら95%は知っとうであらう有名教授である)の最終講義。M教授は學部4年のゼミでお世話になったし、もちろん參加。いや、幾何以外の人大杉。あきらかに關東圈やない人大杉。TAKEも來とったし。なかなか樂しい話色々聞かしてもらひました。終了後は懇親會には行かず、N響のコンセール@上澁谷の伊豫西條藩下屋敷に行く。今回は酷かったな。Ашкеназиは曲を理解しとうんかって感じやったし、桶も桶で駄目。でも、無駄に爆演志向の箇所が結構見られたから許すか(ってそれ何やねん)。歸りは青山の淀藩下屋敷チェコ料理食うて、穩田驛から電車に乘る。