五月祭2日目

 五月祭2日目。昼間はなかなか売れん。2つ隣が、@が昔ゐたとこであることが判明したけど、あそこは余計に辛いでせうな。タントの上で、Мосоловのзавод(日本ではよく「鉄工場」と呼ばれる)を延々流し、布団たたきで布団を叩きながら、「ピーロシキ、ピーロシキ、さっさとピーロシキ、しばくぞ」と叫んで客を集めてました。嘘です。売り上げの管理はだいたいの時間僕がやってたので、売り上げを書く紙にはキリル文字が頻発する。時錯の【旧い人】が来た時、時錯ならキリル文字ぐらゐは読めて当然でせうと彼に言ふと、キリル文字のやうなバルカン半島の一部・旧ソ連・モンゴルでしか通用せえへん原始的な文字は読めず、75言語対応の佐藤式速記しか読めないと返された。なるほどね。納得。あと雰囲気を出すため(?)、「два пирожка」とかいうてрусскийで伝言を伝へたりしてました。しかしрусскийに対する勘が鈍ってますな。「Чай с чем?」って言はれて何のことか一瞬わからんかったり。今日は午後5時過ぎてから売れ出して、結局215個+書き忘れ分が売れました。昨日と併せて420−α個が売れたことになる。後片付けの後家に帰る。あと今号の恒河沙読んだ。【まるわ】にネタをパクられた(2005のZ[i]上での素元分解)。