初めての少人数説明会

 某電話會社の、1:4の説明會とやらに行ってみる。待ち合はせ場所は本郷の金澤藩邸赤門前。普通に新宿まで行って、新宿で淺草新宿線に乘換へて本郷まで。赤門でしばらく待つ。無事、社員の人に逢うて、本郷5丁目か6丁目の喫茶店に入る。で、2:3の説明會。學生側は3人とも院生で、僕以外は全員他大出身っぽい。まあ採用には關係ないってことで本音ぶつけまくってみました。「高給や高出世が見込める職場がええ」とか「東大生であることのメリットはあるん?」とかみたいな感じで。まあ本番でこんなん言うたら間違ひなしに落とされるわな。それにしてもかういふ少人數の説明會の方が僕は好き。歸りは圖書館に寄って、小石川片町→芝赤塚線→神保町→新宿八幡線→小田急新宿と乘り繼いで、あとは普通に歸る。

M教授最終講義

 最近Szopenのnokturn Nr.2を彈き續けとうけど、エルールを2ヶ所までに抑へることに安定して成功しとうな。特に最初の24小節は0〜1ヶ所。で、最近、何故この曲が有名になったかが分かる氣がしてきた。聽く限りにおいては平凡な夜想曲って感じやけど、彈いたら妙に落ち着けるのである。この曲自體技術的に易しいけど、同程度またはそれ以上に易しい曲に比べても明らかに落ち着ける。で、最近思ふんやけど、ピアノ曲が世間に知られるかどうかって、聽いた時の感動度より、彈いた時の滿足感の方と強い相關がある氣がする。特別高度な技術を必要とせんのに妙に滿足感が得られるこのnokturn Nr.2が好例。一方、惡例としてはDvořákのピアノ曲の多くがあがる。聽く分には素晴らしいとしか言ひやうがないのに、彈いても大して滿足感が得られへん。技術的に難しいところが多いわけではないのに彈きにくかったり、うまいこと彈けてもなんか駄作を聽いたっぽい氣分になる。同時代の作曲家であるGrieg(今年沒後100年)にもピアノ曲での知名度が劣るのはここにあるんやらうな。で、晝飯食うて、上澁谷のトゥールドディスクに買出しへ。今日は、盜難防止用のシレーヌが鳴るとこを見てまひました。こんなことってあるんやな。で、大學に戻ってからは院生室に寄って、それからM教授(某教科書のおかげで、大學の數學科生の7割、幾何專攻に限ったら95%は知っとうであらう有名教授である)の最終講義。M教授は學部4年のゼミでお世話になったし、もちろん參加。いや、幾何以外の人大杉。あきらかに關東圈やない人大杉。TAKEも來とったし。なかなか樂しい話色々聞かしてもらひました。終了後は懇親會には行かず、N響のコンセール@上澁谷の伊豫西條藩下屋敷に行く。今回は酷かったな。Ашкеназиは曲を理解しとうんかって感じやったし、桶も桶で駄目。でも、無駄に爆演志向の箇所が結構見られたから許すか(ってそれ何やねん)。歸りは青山の淀藩下屋敷チェコ料理食うて、穩田驛から電車に乘る。

アメリカの州の広さ

 今日はワレンティヌスですな。まあ、男女比が異常な世界に11年も身置いとったら、そない縁のあるもんでもないけど。で、それはさておき。アメリカの州って、とんでもなく廣いイマージュがあるけど、實際どの程度のもんか調べてみた。獨立時の13州のうち、マリーテル以北の9州に關して調べてみると、、、面白い。確かに數字上はとんでもなく廣いけど、實質的には日本の府縣竝であることが分かった。この9州の最大都市は、大西洋に沿うて一列に50〜150km間隔で竝んどうわけである。まさに府縣竝。ニューアムステルダム州やペンシルバニア州なんかは數字上は北海道よりも廣いぐらゐの感じやけど、どちらも最大都市は南東の隅にあって、すぐ隣が隣の州で、隣の州の中心までは50〜150kmしかなかったりする。で、僕のたてた假説。「當初アメリカの州は、日本でいふ府縣竝の感じで沿岸部に作られた。内陸は未開の地で、いくらあっても空氣同然のため、北海道より廣いぐらゐの面積を併合しても當初は實感なかった。」まあ實際、靜岡市葵區の異常な廣さが實感できる靜岡城下町民、仙臺市青葉區の異常な廣さが實感できる仙臺城下町民、札幌市南區の異常な廣さが實感できる眞駒内住民は殆どをらへんでせう。ニューアムステルダム州やペンシルバニア州も似たやうなもんかと。って考へると、、、日本の道府縣が州竝の權限を持ったとしても、18世紀アメリカ人から見たらさほど不思議なもんでもないわけか、たぶん。

酒入りショコラ

 學校行ってピアノを彈く。彈いてから院生室寄って、それからこてかんの會室へ。Sさんが置いてったショコラがあった。一ついただく。十數年ぶりに酒入りショコラを食べることになるけど、、、この歳になったら普通に食べれるもんやね。結構酒とショコラが合はん氣もせんでもない。僕は、保育園年長〜小學校低學年頃、間違うて酒入りショコラを食べてもて、えらい氣分惡なって吐いてもたことがあって、それ以來トラウマがあったけど、もう今になったら普通に食べれるっぽい。

日本は多民族国家である

 なかなか面白いパージュみつけた。http://www.ethnologue.com/ってやつ。世界の全(?)言語が載ってある。ドネー處理するにはやや不便な點もあるけど、結構使へさう。これによると、日本では15ヶ國語が使はれとうらしい。全部あげたら、アイヌ語・日本語・北奄美語・南奄美語・喜界語・徳之島語・沖永良部語・與論語・國頭語・沖繩語・宮古語八重山語・與那國語・韓國語・手話となるらしい。このうち韓國語は他國から入ってきたもんで、手話は人工的に作られたもんやから除くと、土着の言語は13ヶ國語となる。それにしても、南西諸島の言語をこれだけ細かうにわけときながら、本土の言語を1つの日本語でまとめとうことに何か意味があるんやらうか、、、那霸首里と名護の方言の差が、鹿兒島・京都・江戸・弘前の方言の差より大きかったりするんやらうか、、、これは謎。ちなみに僕は、日本の言語の多樣性は、舊ユーゴスラビアに匹敵する、または越えると考へる。舊ユーゴスラビアで主流の言語はСрпскиとHrvatskiやけど、兩者の違ひは關東語と近畿語程度のもの。で、これらの兩隣にМакедонскиとSlovenščinaがある。少なくともСрпскиとМакедонскиは普通にお互ひ通じるし、Slovenščinaあたりになると微妙いうたら微妙やけど、まあ津輕辯薩摩辯あたりに對應させれるやらう。で、系統の異なる言語としてShqipやMagyarがあるけど、これは韓國語アイヌ語に對應させれるやらう。宗教から見ても、日本は神道と佛教、即ち日本宗教とインド宗教が混ざっとって(實際は兩方混合の場合が殆どやけど、どちらかに完全に分類することは不可能ではない)、佛教をとっても樣々な宗派があることから、日本の民族の多樣性は實は舊ユーゴと大して變はらんかったりする。ってわけで日本は十分多民族國家やと思ふ。なのに何で日本では民族紛爭が起こらんかいうたら、、、結局は天皇中心の神の國といふ思想が深層に根付いとうからやらうな。