Балакирев & 明治の100大都市

 昨日買うてきたБалакиревの交響曲第2番を聴く。Балакиревといふ作曲家はミノリテールやけど、19世紀後半にロシア国民楽派の先頭に立ったのが彼である。彼が化学者・築城学者・近衛兵・海軍士官を連れて来て結成したのがかの有名なМогучая Кучкаである。結局近衛兵と海軍士官がより有名になってもたといふのは気になる(それには劣るが化学者も結構有名になってる)。といふよりこの5人の中で、親玉のБалакиревの曲だけ今まで聴いたことがなかったんでつよ(化学者・近衛兵・海軍士官の曲は普通に聴けるし、築城学者の曲は携帯の着メロをテレシャルジュしてそれで聞いたことが一応ある)。で、今日初めて聞く。いや、なかなかの曲やね。といふより一番印象に残ったのはクプルされたУвертюр на три русские темыである。をい!!!Чай4でつか?まあ作曲年代から見てパクったとしたらЧайковскийであることは明らかやけど。どちらも元ネタはВо поле берёза стоялаといふロシア民謡らしい。別に共産党員を歌うたものではありません。さういへば某シットで、明治時代の100大都市の人口の表を見つけた。僕の実家から半径100km以内を全てあげると、1886年の場合大阪361694・京都245675・神戸80446・徳島57456・和歌山54868・堺44015・高松37698・岡山32989・大津23167・姫路22677・奈良22666・伏見19831・明石18587・鳴門撫養17075・尼崎12742・大和郡山12384・岸和田12366・西宮11932となる。18個か...といふより、明石≒姫路といふのが妙に気に入った。石高は倍の差があるのに。あと徳島がこれだけ大都市やと(鳴門が明石並の都市といふのも意外)、昔は淡路島が徳島藩徳島県やったことも納得がいかなくもない。