Москва & 夢 rêves は果てしなく

夢 rêves は果てしなく

 妙なことを考へながら学校に行く。Мусоргскийの一番の名曲って何なんやらうか?僕は、Бородин・Балакиревはある程度は分かるのにМусоргскийは未開拓っていふあきらかに普通やない状況なんやけど、僕の知る限りではРассвет на Москве-рекеといふ結論に出た。で、曲名に「モスクワ」の入った曲って何があるかな、、、と考へたら、他にはПодмосковные вечераといふ演歌が思ひ浮かんだ。рассветとвечераで好対照ですな。っていふかそろそろПодмосковные вечераの歌詞を覚えたいところ。あとはWieniawskiのWspomnienie Moskwyってのもあるらしいけど、まだ聴いたことはない(その前に、元ネタであるкрасный сарафанといふ歌を聴かなあかん気もするけど)。で、今日は2コマ目からGD2006に出席。今日は同じKh教授門下のKt君も来とった。2コマ目を聴きにきたらしい。その2コマ目、黒板使はれた。でも目が悪い僕にはまず見えません。横のエクランも字が小さうて見えません。やばい。一応、裸眼で免許取れるだけの視力はあるし、眼鏡もかけとったのに。3コマ目はM教授の発表。内容は、去年冬学期の大域幾何学概論の講義のまとめ。だから大抵の部分は聴いたことはあった。それ故か英語も聞き取りやすかったし、30分ぐらゐは集中力持った。まだ分からん部分の方が全然多いけど。で、最後は写真のやうな数式で終はる。この後は院生室に寄ったら、T氏に遭遇。今読んどう論文に関して詰まった部分を質問してみたら一瞬で解決された(まあ、quandle cohomologieの定義をまともに読んでなかった僕がアホ杉やったけど)。この後書籍部に寄ってから、駒場エミナースへ。傘入れるのに延々苦労しながら(膻のブトンを押したらええことに全然気付かんかって、N氏に聞いてやっと解決)、しばらくして阪大の人達と合流。同じM1で知っとう人は阪大の4人だけやし(東大・京大は誰も来てへんかったし)。で、写真撮影。金払うてへんのに写る。あの金は、写真を買ふ代金と判断して。いや、我らがKh教授が遅れとってやったんには笑うた。そんなキャラっていふイマージュなかったし。で、写真撮った後はM教授の誕生日会。GD2006の参加者他、東大数理の教員達も各分野から来とってでした。色々お宝映像とか見れて楽しかったです。あと代数幾何のKt教授の英語にえらい近畿訛りがあった。僕の外国語は近畿訛りが強いって色んな人に言はるるけど、たぶんあんな感じになっとうんかな?ただ、どうも先生たちに話しかけることはできひんかったな。直接面識ない人に話しかけるのと、目上の人に話しかけるのは、どうも苦手です。で、周りでは、外人と話せるやうに英語が使へるやうになりたいとの声を聞く。もっとも僕は、英語も日本語もA語もB語もC語も、特定民族の民族言語といふ意味では全く平等といふ主義やから(本音を言うたら英語は全言語の中でほぼ一番格下の部類に入るけど)、外人と相手の母語で話せるやうにはなりたいと思うても英語で話せるやうになりたいとは思はんけど、やっぱり英語が世界を支配しとう現実はあるんかなと思ふ。あと、2-nœudの権威であるKm教授も来とってやったけど、話しかけることできひんかったのが残念。帰りは阪大のM1達と宮益町の駅まで歩く。他の人達はもちろん僕も実は初めての道やったんやけど、何とか行けました。とりあへずまっすぐ東に歩いていって、途中で高速が見えたから高速の下を東に向かふって感じでたどり着く。電車で渡辺土手際へ行って、そこでみんなと別れて山手厚木線のケーに入る。普通乗ったけど、一番改札よりの車両やのに座れた。快適に家まで帰る。っていふか、快速急行・準急の支那語(北京語?)訳って「直快車」「稍快車」なんやね。えらい違ふな。今日気付いた。韓国語は日本語と一緒っぽい(もちろん読み方は違ふ)。