「愛国心」と「異文化尊重」

 朝、久々にA-Leoを見る。昼休みは生協である本を買うた。中身はhttp://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=1796664&id=645226参照。この後こてかんの投票をやる。今日始めたとこやけど、明日まで間に合ふか。で、院のゼミ&火曜セミネールといつもの感じ。帰ってからテレビみたら、NHKが愛国心に関する番組やっとった。愛国心を養成することについて、まあ賛否両論はあるみたい。ただ、賛成派の意見を紹介する時、いかにも日本が他国より優位にあるみたいなやり方を紹介しとったのはどうかと思ふ。で、反対派を紹介する時は、愛国心全体主義や排外主義につながるみたいなお決まりのティプ。結局、この番組では、愛国心を持つ=自文化が他文化より優位にあると考へる、ってことが言ひたかったんか、と思うた。ちなみに僕は、愛国心養成は必要やと思ふ。ただ、僕の考へる愛国心は、自分の生まれた土地や社会、そこに根付いた文化や宗教を愛する心、といふ意味で、「親や先祖を敬へ」との孔子の教への延長線上にもある(余談であるが、もしこの愛国心云々について支那から抗議が来たら、支那の生んだ偉大な思想家である孔子の教へに基づいたもんやと返したらええ)。まあ、愛国心といふよりは、愛郷心っていうた方がより正確かもしれへんな。生まれた土地や社会に誇りを持つことにより自分に誇りを持つ、それが理想か。統治機構も、土地や社会に流れた歴史の一端といふことで、一応は「国」といふ概念に含まれるけど、あくまで土地や社会が上位にあり、それを蔑ろにするやうな統治機構に盲従する必要はない。政府を批判することも、立派な愛国行為であると言へる。さらに言ふと、「愛国心」と「異文化尊重」は、矛盾するもんやなしに、それどころか表裏一体であると思ふ。国を愛するからこそ、他人が愛国心を持つことを妨げたらあかん、といふ意味である。さらに言ふと、自らの郷土や文化を愛すことのできひん人間が、他人の郷土や文化を愛する態度を理解できるはずがない。自らが郷土や文化を愛する心を持ってこそ、他人が郷土や文化を愛する態度を理解でき、それが異文化尊重につながるわけである。逆に言ひ方を変へると、愛国心が排外主義につながらんやうに教育することも重要であらう。愛国心こそ異文化尊重なんやから。あと、サヨクはよう「愛国心強制反対」とか叫んどうけど、愛国心を「強制」するのば僕も反対である(当然ながら、実際は誰も強制しろとは言うてへんわけやけど)。愛国心を「誘導」していくのが望ましい。